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スクランブルエッグ

〜 a short story 〜

「まるでスクランブルエッグみたいな気分なの。」

隣の席に座っていたユキがそう言った。

もちろん僕には彼女の口から出た言葉の意味がまったく理解できなかったし、その意味について彼女に質問もしなかった。

彼女の次の言葉に期待をして少し待ってみたが、とくにそれ以上の言葉もなさそうだったので、カウンター越しのマスターの顔をちらりと見た。

マスターは「さあね」と言いたげに肩をすくめてみせた。

隣に座っているユキとは、ここ「BAR もぐら」で知り合った。どちらもこのバーの常連客で、二回三回と顔を合わせるうちに一言二言と会話をするようになったが、隣で一緒に飲むのはこの日が初めてだった。

ユキは美人というほどではなかったけれど、少し低い鼻がよく似合っていて、くしゃっとくずれる笑顔がキュートだ。

服装はいつも飾りっ気はないが素材の良いシャツやニット、足下はキレイに磨いてある革の靴といった気持ちのよい印象で、僕は密かに想いをよせていた。

「じつは昨日、彼氏と別れて…。」ユキは突然話しはじめた。

「それで、今日は会社でもボーっとしてたみたいで、ミスを連発して…、大切な取引先を怒らせちゃった。」

「そ、そうなんや〜。」と何も言えない僕。(くそ〜、何も言葉が浮かばへん!)

「でも今日はツチオカ君に会えて良かった。」とそんな僕を気遣って言ってくれたのだろうが、ユキは少し悲しそうな横顔だった。

今日はいつになくユキは飲んでいた。あとから来た僕が知る限りでもう5、6杯は飲んでいた。

沈黙もどうかと思い、「だ、だいじょうぶやで。」まったく言葉が浮かばない僕は、相変わらずワケのわからないことを口走っていた。

「ありがとうツチオカ君、でももう大丈夫。ごめんね。」と優しいユキ。

そんな空気を破るように、「はい、どうぞ。」とマスターが僕たちの前に置いたのはスクランブルエッグが挟んである玉子サンドだった。

おいおいマスター、こんなときにサンドイッチが食えるかよ〜って思ったが、目の前に置かれた玉子サンドから放たれるバターの香りが僕の鼻を通り抜け、脳に直接刺激を与えたように感じた。

ググ〜〜

なんと先にお腹が鳴ったのはユキだった。

「お腹の虫は正直やで。ほらっ、食べてや。」と笑顔のマスター。

ちらりと横を見ると、ユキは口を大きく開けてパクリと食べていた。きっとユキも脳を刺激されたのだろうと、僕も急いでパクリ。

口の中に広がるバターの香りと薄く塗られてあるマヨネーズとマスタードがふわふわの玉子を引き立てていた。

薄めの食パンとたっぷり入ったスクランブルエッグのバランスが最高だった。

「マスターおいしいです。」僕は言った。ユキにも少し笑顔が戻っていた。

するとマスターは、

「ユキちゃん、熱いフライパンの上でぐちゃぐちゃに混ぜられるのも人生やで。いつもフライパンの角でパカッて割られて焼かれただけの目玉焼きやったら人生つまらんし、成長もせえへんのとちゃうかな〜。悲しいもんは悲しいし、辛いもんは辛いけど、次はその経験を踏まえて何を考えて何をするのかってことの方が大切やと思うな〜。 ヘコむだけでは終わらせたらあかんし、スクランブルエッグは成長するチャンスやし、応援してるで、がんばってや。」と食器を洗いながら言った。

「…マスターありがとう、マスターにそう言ってもらえると元気がでてきた。お腹もいっぱいになったしねっ。」

「よ〜し、明日は元気に出勤して朝一番に取引先と社の皆にもう一度あやまろっと。」

「まったく、ツチオカ君もこういうアドバイスができないかな〜!!」とユキはすっかり冗談が言えるようになっていた。

嬉しくなった僕は「同じようなこと言おうと思ったけど、さきにマスターが言っちゃうから〜」とおどけてみせて、「でも、彼氏のことは?」と自分でもびっくりするくらいに自然に口から出てきた。

ユキは少し間を置いてから「彼氏のことはもう何とも思わないよ。ほとんど会ってなかったし愛情はほとんどなかったの。ただあまりに勝手な奴だったんでちょっと腹が立ってただけ!」

「でも、どうやら次の恋が来そうな予感もあるしね。」とユキの口から衝撃発言が飛び出した。

(え!? 次の恋??)

「へえ〜、ユキちゃん、もう次の恋人候補がいるの? やっぱり女の子だねえ。」とグラスを拭きながらマスターが言った。

「ふふふ、ちょっと口ベタな奴だけどねっ。」とユキ。

「へ〜、だってよ!ツチオカ君。」と僕を見るマスター。

(??えっ??ウソ??僕??)一瞬で頬と耳が熱を持っていくのがわかった。

「い、いや、じ、実は、ぼ、僕もユ、ユキにそういうことを言いたかったんやで。」と真っ赤な頬と耳の僕は小さな声。

「も〜、ツチオカ君ったら何も言えなかったくせに〜。」

「いや、い、言おうと思ったけど、ユキが先に言うから〜。」

「わははは〜」

(…夜は続く。)

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そんなユキの心を満たした究極の玉子サンドがのってたプレートって、どんなプレートなんだろうね?

皆様のお越しをお待ちしております。